ペットロスと向き合えるか

まだ先はわからないが、いまのところペットロスにならないのではという気がしている。

少なくとも激しく感情的になることは少なくなった。

 

亡くなって丸3日は、ふとした拍子で号泣していた。

帰宅すると家にいないという現実に号泣。

ツナたまごサンドを食べようとすると横に寄ってきていたので、パンに少し取って食べさせたことを思い出し、コンビニから帰ってきて定位置に座ると、猫が寄ってこないことで号泣。

毎日点滴に通っていた動物病院に、亡くなったことと予約のキャンセルの電話をして号泣。

愛猫のことを人に報告するたび号泣。

名前を言うこと、書くこともほとんどできなかった。

 

ただ、家では思う存分泣いた。

母が亡くなったとき、姉がちゃんと泣けず、数年抗うつ剤のお世話になったと聞いたから。

 

4日目ごろから、取り乱すことはなくなってきた。

 

やったこと…初日はとにかく直視が難しいので、気分転換に掃除をしたり、ちょうど帰国してきていた友達がマンションのゲストルームにとまっていたので、食事に行ったらお茶したりしていた。

2日目からは、写真ばかり見ていた。

膨大な量の写真があり、全部見きれない。

見ているとあまりにも可愛くて、会えないことへの寂しさが募る。

でも写真をみていると、会えるような気がして、写真ばかり見ている。

 

3日目、4日目は、同僚のアドバイスで、面白エピソードを思い出そうと努める。

 

日々思いが変化していく。

でもやっぱり日々考えるのは猫のこと。

感情はだいぶん楽になってきた気はする。

でもどうなのだろうか。

 

亡くなる数日前に噛まれた傷がかさぶたになり、昨日1つはがれた。

心の傷のかさぶたがはがれたのか、はがれたかさぶたと相反して傷が深く刻まれたのか。

幸い数年前にひどくひっかかれた傷跡が残っている。

これを心の支えにしていくのだろうか。

 

 

蝉の声

先週ぐらいから、蝉の声がしなくなってきた。

少なくともうちのマンションの敷地内の木からはほとんど声がしない。

ほかの場所からは弱々しく聞こえてくるが、一時は耳がおかしくなるほど鳴いていた蝉。

7月初旬から8月初旬まで、ほぼ1ヶ月、楽しませてもらった。

でも、もう終わりなのか?

昔は夏休み中、蝉やトンボを追いかけていた気がする。

気のせいか、思い込みか。

マーガリン?!

急に喫茶店のエビピラフが食べたくなり、適当な店に入った。

出てきたエビピラフからなんともいえないにおいが…。

バターではないのでマーガリン?

非常に強いにおいで、耐えがたい。

でもまったく食べないわけにもいかず、鼻から吸い込む息を止めながら半分強食べる。

マーガリンもきっと味は良くなってきているはずなのだが、あのきついにおいはなんなのだろう??

稀に見る不味いエビピラフだった…。

ダイエットにはいいかも。

愛猫不調

2週間前から食欲が落ち、先週前半は嘔吐と粗相を繰り返した。

金曜日はいきなり左前足の手首?から先がグラグラになり、歩くのが困難に。

先生いわく、腎臓の値が悪化すると、神経に影響することがあるとのこと。

検査して悪化しているとわかったからといって、他に手の施しようがないとのことだったので、負担のある検査はしないことに。

※翌日、治療方針がかわるかもということで、採血もできるだけ負担のない方法をやるとのことで(以前からやってくれたら良かったのだが)検査したところ、腎臓数値は思ったほど悪化していない、食欲不振→栄養不足→筋肉量不足から立てなくなっているのではとのこと。ただ左前足だけというのは解せない。

長生きはしてほしいが、ストレスを抱えたり苦しんだりする時間は長くあってほしくない。

猫自身が治療法などを決断できないので、こちらがいずれ決断せねばならない。

命を預かるとはこういうことなのだな。

 

葉っぱ

通勤途中、斜め前に杖をついたおじいちゃんが歩いていた。

ふと立ち止まり、足元にあった葉っぱを拾い、ポケットにいれた。

あの葉っぱ、どうするんだろう?

孫にあげるのか、妻に見せるのか、飾るのか?

ふと13年前を思い出す。

夏から入院していた母に、黄色いイチョウの葉っぱや赤いモミジの葉っぱを拾い、病室に持っていって、外はもうこんな風になっているよと見せていたこと。

翌年の2月に亡くなるとはそのときは思ってもいなかった。

来年の秋には一緒に紅葉を見ることができるとすら思っていた。

あのおじいちゃんはあの葉っぱをどうするんだろう?

あのときの母のように、外に出られない妻がいて、こんな時期なのに落ち葉があったよなどと話すのだろうか。

いろんな思いを持って人は生きている。

そんなことを感じたできごとだった。