無宗教
祖母が存命のころは、お盆のころに「お寺さん」を呼んで、読経してもらっていた。
祖母が亡くなってからも、伯母が何回忌だといっては、うちにきて、「お寺さん」を呼び、読経してもらっていた。
その「お寺さん」は、髪の毛ふさふさで、バイクにのってやってきた。
なんとなくお坊さんっぽくないなぁと思っていた。
祖母の十三回忌以降は特になにもしなくなった。
母のお葬式では、無宗教ということで読経はなし。
先日義母が亡くなり、義兄夫婦が葬儀屋さんと話しているのを聞き仰天。
なんの縁もなく、単に宗派で読経にきてもらうだけで、しかも故人を知りもしない人に戒名をつけてもらうだけで最低ライン25万円!
そもそも信仰心もないのに知らない人に読経&戒名に25万円以上支払うことに異様に反発を覚え、葬式に読経は不要と家族に告げる。
しかし墓に入るときは好むと好まざるに関わらず、家の墓であれば、家の宗教に合わせてその墓地のある宗教の供養が必要なのか?
例えばある宗派の墓地に入る場合に、供養は不要と言って、墓に入れてもらえるものなのか…?
そもそも昔から正月に家族で初詣も行ったことないので神道でもない、特に信じる宗教もない、でもどこかに属するには抵抗があるとなると、どうすれば良いのか。
どこかの枠からはみ出すのは大変なのだなぁとつくづく感じる。
スマホの使い方からわかること
OSアップデートしたときに、スマホから指紋認証を強く勧められたので、仕方なく登録した。
しかし指をきっちり合わせないと番号をさらに催促されたりして、面倒なことこの上ない。
個人情報の流出に注意は必要だろうが、過去に携帯、スマホを紛失したことがないのでもうやめてしまおうかと心揺れる。
慣れもあるのだろうが、ホームボタンに意識してきっちり指を置く、そのひと手間が面倒くさい。
ちなみにこの面倒くさがりの性格により、これまで携帯で折畳式は持ったことがなく、さらにスマホになってからも手帳風に蓋をするタイプのカバーはつけたことがない。
わざわざ開かないと見ることができないひと手間は、本当に苦痛だ。
カバーをして、さらに指紋認証やパスコードを入れる人たちなマメさに脱帽するとともに、自分自身の面倒くさがりぶりにも脱帽。
34.9度?!
今朝体温測ると、34.9度だった。
驚愕した。
35.2度とか35.3度とかは見たことあるけど、さすがに34度台は見たことなかった。
このまま死ぬのか?
しかし夜になっても生きている。
体温が低いから、風邪を引きやすくなったのか?
体温上げねば!
筋肉つけねば!!(たぶん…)
サンタさんと父
小学校2-3年にもなると、周りがサンタさんは本当は親なのだと薄々か、はっきりと感じ始める。
小学校4年生のときに、周りはほぼ、サンタさんを信じていなかった。
家で父に「サンタさんって本当はお父さんなんでしょう?」と聞くと「そんなことはない。ではお父さんがサンタさんにお前の欲しいものを頼むために電話するから、電話を聞いてみなさい」と言う。
当時2階に親子電話があったので、父が電話をかけ始め、通話ができたと思った頃に受話器をあげた。
父が英語(きっと)でしゃべっていた。
相手も英語でしゃべっていた。
当然内容はわからなかった。
しかし信じた。
小学校いっぱいぐらいまではそれを根拠に信じ続けた。
そんな芝居をしてくれて父に感謝する。
そして、父と通話したのは誰だったのか。
父はいまでは記憶にないという。
父が30代の頃、1年間イギリスに留学していたので、きっとそのときの友達ではないかと思うのだが、覚えていないのが残念だ。
その人に父とどんな話をしたのか聞いてみたかった。
クリスマス
世間ではクリスマス。
クリスマスらしいクリスマスはした記憶がない。
それどころか、若かりし頃、当時つきあっていた相手と、立ち食いの串カツ屋に行った程度。
成人してクリスマスプレゼントをもらったりあげたりした記憶もないし、母に「あんたたちはクリスマスにいつも家にいる」と言われたほど。
ご飯を食べに行こうと思ってもクリスマスメニューで高いし、食べたくもない高級食材を出される。
街は楽しげでいいとは思うが、個人的にクリスマスでウキウキするとか、なにかやるとかいう考えはまるでないどころか、人出の多さや高いメニュー設定に迷惑すら感じる。
そして今日もふらりと出かけて1人でタイランチ。
このあと目当てのクランペットを食べに向かうぞ!
どうか混んでいませんように。
サンタさんへの控えめなお願いです。