怪我をした野良猫は2晩保護し、兄弟猫の元に返した。
相変わらず仲がいい。
右前足も良くなってきて、ゆっくりだが四肢で歩けるようになってきた。
しかし前足をかばってあまり使わなかったからなのか、前足の背中周りの筋肉がごっそり落ちた。
良くなるのだろうか。
これからも見守っていく。
怪我をした野良猫は2晩保護し、兄弟猫の元に返した。
相変わらず仲がいい。
右前足も良くなってきて、ゆっくりだが四肢で歩けるようになってきた。
しかし前足をかばってあまり使わなかったからなのか、前足の背中周りの筋肉がごっそり落ちた。
良くなるのだろうか。
これからも見守っていく。
前の投稿に書いたとおり、怪我をしている野良猫を深夜の動物病院に連れていった。
入るなり、狭い空間に難民船ながらの人、人、動物たちがひしめきあっており、言葉を失う。
待合室で待っていると、診察室から犬の悲鳴、いきなり運ばれてくる瀕死の黒猫、治療終了後のおむつをした犬が、体を動かす度に痛むのか、時折悲鳴…深夜の地獄絵図を見た。
しかし動物病院の先生たちが使命を果たすために、深夜にも関わらず動物たちのために必死で対応している姿に感銘を受ける。
家人は、ほとんど楽しいことのない仕事だなというが、どうなのだろう。
近所に人を見ると寄ってくるような人懐っこい猫の兄弟がいる。
そのうちの1匹が、今週はじめから右前足をひきずっていた。
家人が気にして、病院に連れて行こうかと逡巡。
翌日様子を見に行くと、冷たい雨の中、マンションの狭い軒下で縮こまり、悲しげに、弱々しく鳴いている。
家人は決意した。
動物病院に連れて行き、原因を特定し、可能ならある程度治療してもらうのだと。
段ボール箱に暖かい毛布を敷き、箱に投げ入れる。
すぐにくるんと丸まって落ち着いた(ように見えた)。
しかし車に積み込もうとすると、いきなり反旗を翻し脱走。
また元の場所で弱々しく鳴く。
家人は諦めない。
またひっつかんで箱に投げ入れ…!そこで野良猫がまさかの逆襲!
死にものぐるいで暴れる!
うちの可愛い愛猫の暴れ方など比べ物にならない。
家人の手を咬みちぎらんばかりに咬み、引っ掻く!
それでも諦めない男はどれほど痛めつけられても離さず、箱に投入。
しかし深夜の動物病院では、暴れるかもしれないというと、麻酔せねばならないが、病気か怪我かを特定していない段階での麻酔は生命のリスクを伴うというので、諦めない男もここは諦めて帰宅。
いま保護といいつつ、拉致監禁状態2晩目。
今夜は兄弟のもとに帰してやりたいが、生きていけるのだろうか。
しかしそれが野良猫の宿命なのか。
前は家人を見ると、ニャーニャー鳴きながらついて歩くような猫だったのに、拉致監禁してからはニャーともワンとも鳴かず、自分の姿が見えないような隙間に隠れてでてこない。
やはり野良は野良としての幸せがあるのだろうか。
数年に一度会っていた遠方の友達がいる。
その友達から1年前に癌であると聞かされていた。
職場への復帰を目指していると聞いたので、まだステージは低いのだと思っていた。
しかし気になった言葉があり、勇気を振り絞って聞いてみると、2年半前に、余命1年あるかどうかと言われていたらしい。
手術は選択せず、抗がん剤治療で2年半頑張っているとのこと。
親や配偶者、家族として迎えている犬たちより先に死ぬわけにはいかないと、気丈に前向きに振舞っている。
しかし判明した時点で末期だったと。
体調などしんどいときが多いに違いない。
しかしメッセージではいつも前向きで思いやりと優しさに溢れている。
どうしてそんなに強いのか。
それともそうしないと不安で仕方ないのか。
本人の気持ちを慮ることはできないが、昔から強く優しい人だったことに変わりはない。
こういうときにこそ、人としての品格がでてくるのだろう。
しかし癌は恐ろしい。画期的な薬、治療法が早く確立できればいいのだが。
いなくなるにはあまりにも早い。
前にも書いたが、学生時代、ワンダーフォーゲル部だった。
人数が少なく、仲のいいクラブだった。
部室に行くのが楽しみで、うだうだとつまらない話をして笑ったり、OB・OGにいじめられる監督・コーチ会の愚痴を言ったり、次に登る山の話、家の話、なんでもした。
下界ではチャラチャラしてる奴が、山に行くとなぜが真面目になったり、またその逆もあったり、とにかくしんどくても楽しかった。
卒業して、会社でも友達ができたりして、一時期クラブのことから離れていた。
数年前にクラブの同級生が亡くなったことで、またよく集まるようになり、OB・OG会や現役にも関わるようになった。
そんな関係で、最近も近い代の仲間たちとしょっちゅうLINEで話をし、顔を合わせ、夜中にLINE電話で話し合う。
格好をつけることもなく、口に出す言葉を選ぶこともなく、お互いを気遣うことは忘れずに話し合える。
こんな仲間は宝物だと歳を重ねて初めて知る。